ESTS2022顛末記

2022.6.23記載
吉野一郎

2022年のESTSに学会を代表して参加し、COVID-19パンデミックで途絶えていた交流を再開いたしました。時節柄、参加には多くの葛藤や困難があり、大変思い出深いものになっただけではなく、先輩方の並々ならぬご尽力があったことを思い出し、手記にまとめることといたしました。

ESTS(European Society of Thoracic Surgeon:欧州胸部外科学会)とJACS(Japanese Society for Chest Surgery:日本呼吸器外科学会)の交流は、国立がんセンター中央病院に留学していた数人の欧州の医師たちと交流のあった呉屋朝幸先生(元杏林大学)が若者を連れてESTSによく参加していたことから始まります。元より呼吸器外科中心の国際学会であるESTSに日本の呼吸器外科医が親近感を持って参加していくようになる必然がありました。JACSは心臓外科中心になったJATS(Japanese Association for Thoracic Surgeon: 日本胸部外科学会)では臨床と研究の満足な学術活動ができないということを理由に、1985年に日本呼吸器外科研究会を発足させ(故寺松孝先生)1987年に設立され、ESTSも1979年に発足したEuropean Thoracic Surgery Club起源として、やはり心臓外科中心の学会であるEACTS(European Association for Cardio-Thoracic Surgery)での活動には満足できず1993 年に発足しています。JACSとしての交流の端緒は、東京医科歯科大学の石橋洋則先生とESTSの分科会(2009, Barcerona)で交流のあったドイツのLeschber教授(President, ESTS2011)を2010年に個人的に日本に招待した際、当時のJACS理事長の近藤丘先生(元東北大、現東北医科薬科大学)に引き合わせたのが始まりです。
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そして、実務的には奥村先生が副理事長で国際委員長を勤められていた2011年、マルセイユの会場で Secretary General の Raemdonck教授 にお会いして、日本人の参加や発表の増加を約束し、2012年に理事長になられた後、積極的にESTS参加を奨励されました。ちょうど、 ESTS 側もヨーロッパ域外からの参加を増やして、国際学会としての地位を築こうとしていたので、お互いの利害が一致したということのようでした。私が副理事長として奥村先生をお支えしているころだったので、JACSの学術集会の時のJACS-ESTS joint session、ESTSでのESTS-JACS sessionの企画に関わらせていただき、当時のSecretary GeneralのDr. Aressandro Brunelliや秘書の Mrs. Sue Hesfold、Dr. Enrico Ruffiniとカラオケで盛り上がったりしたものです。2020年、2021年はCOVID-19パンデミックのために、まともな形で開催されず、当然、ESTS-JACS sessionは企画されず、JACS-ESTS sessionもオンライン開催と盛り上がりにかけていました。私も不参加で、欧州、日本はもちろん他の多くの国の呼吸器外科医師もそれどころではなくなっていたというのが現状でしょう。
さて今年のESTSは、2月に理事長1年目の私に招待状が来ました。またJoint sessionについても千田雅之前理事長・ESTS program committeeから打診があり、さてどうしたものか、となりました。それは、COVID-19の蔓延状況がまだどうなるか見通せなかったこと、そしてウクライナで起こった戦争が今後どのような展開になっていくかわからなかったこと、が理由でした。Mrs. SueHefordには、自分の参加は2−3週間前にならないと決められない、と返信し、学会としてはJoint Sessionはできればon-lineで参加したい、などの申し入れを国際委員長の豊岡伸一理事より打診してもらったところ、前者には「わかった、良い返事を待っている」、後者には「頼むからin person(現地参加)でお願いしたい」、という返事でした。そこで奥村先生、千田先生、豊岡先生、佐治 久先生(講演予定者)、宗 淳一先生(講演予定者)で対策検討会議(web)を4月11日に開いて、理事長の吉野は余程の事態にならない限り現地参加、豊岡先生は前向きに検討、佐治先生はやや躊躇気味に検討、宗先生はあくまでもオンライン参加を希望、となり、この時点での確実な現地参加者はESTS理事の奥村先生、Program Committeeの千田先生、そして立場上行かざるを得なくなった私の3名でした。もし司会、演者予定者が参加できなかった場合でもJACSの名誉をかけてプログラムを成立するために私や千田先生が司会・演者を分担しようと内内話し合っていました。その後、豊岡先生が岡山大医学部長としての立場との板挟みで悩んだ挙句、出張中の教授会をオンラインで司会をするという離れ業を絡めて参加を決めてくれました。また奥村先生の熱い言葉も背中を押したようです。佐治先生も日本の区域切除のエビデンスを海外で改めて示す、という国家的意義を再認識してくれて参加を決めてくれました。ウクライナ戦争は膠着しており、ロシアのプーチン大統領は核使用を仄めかし、エネルギー危機、円安が強い逆風でしたが、幸いCOVID-19の感染状況は改善傾向を示しており、日本政府も海外からのインバウンド部分解禁を打ち出した(6月1日〜)タイミングでした。とはいえCOVID-19関連のレギュレーションは所属施設ごとに異なり、
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皆、それぞれ対策をして望んだ学会となりました。出国に際してはワクチン3回目摂取証明をアプリで携帯に保存し、MySOSという入国時に使用するコロナ陰性証明、ワクチン3回目摂取証明、海外渡航先、国内滞在地などを登録するアプリをダウンロードし、さらに渡航先のオランダ(フランス)から出国72時間以内のCOVID-19陰性を証明するためのPCR検査の予約(オランダのスキポール空港:Test2Fly)と、初めて経験することばかりでした。成田でエールフランスに搭乗すると、ほぼ満席の9割は外人で、皆マスクを外していました。それから私は帰国までNo maskでした。パリのドゴール空港を経由してアムステルダムのスキポール空港に到着したのが6月17日(金曜日)の21:30ごろで、千田先生と旅程が同じでした。列車でハーグまで30分、それからタクシーでマリオットホテルに到着した時には日付が変わる直前で、久しぶりの渡欧でかなり疲れてれしましたが、異様に頭だけは冴えてしまい、最近遠ざかっている論文執筆作業をするには好都合でした。
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6月18日(土曜日)は、ダウンタウンで両替をし、マウリッツハウス美術館でフェルメールやレンブラントの絵画を堪能し、1人でカフェでビールとサンドイッチを食べました。19時からはPresidentのDr. Brunelliより招待を受けていたRound-Table会議とBlack-Tie Partyに参加し、多くのレジェンドの先生方と親交を深めさせていただきました。このPartyのためにわざわざ持っていったBlack Tie Suiteは、数年前のAATS100周年記念Partyに参加した際に作ったもので、それ以来の着用でした。チューリヒのProf. Wedar先生は隣の席を勧めていただき旧交を温めることができました。パーティーの終盤ではスピーチを求められ、招待へのお礼に加え、JACSとの交流の意義、今後のFriendshipについて話をさせていただきました。
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翌日の6月19日(日曜日)は、ESTSの初日。午後14:30ごろからESTS-JACS joint sessionでした。ハイブリッド開催ではありましたが、ハーグの国際会議場は6割ほど埋まっており、午前中のPostgraduate courseよりも盛況でした、これは前日のPartyで千田先生が宣伝したのが良かったかもしれませんが、多くの欧州の呼吸器外科医は、日本から最近LACETに公表されたSegmentectomy vs. Lobectomy論文に対して大きなインパクトを持っているようで、会場は始まる前から緊張と熱気に溢れていました。
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司会は豊岡先生(これはJACS国際委員長の役職指定)とESTS側のDr. Gossotでしたが、豊岡先生が終始、イニシアチブをとっていました。豊岡先生は日本にいるときと同様マスクをしたまま司会席に付き、堂々と進行役を勤めておられました。
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ESTS側からの演者は、ESTSきっての切れ者のBrompton病院のDr. Limと司会でもあり欧州の区域切除の草分けのDr.Gossotでしたが、ほとんどはプログラムのタイトルとは関係なく、JCOG0802/WJOG4607Lに対するDiscussionに終始していました。日本からはまず宗先生がオンラインで丁度EJCTSに受理されたばかりの肺癌登録委員会のRWDを講演し、会場参加者の高い関心を買っていました。
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そして真打は佐治先生のLANCET論文の講演です。時間がない上にさらに私が総括的なコメントを話したので、質問を受け付けること、また会場の熱気が覚めやらないままにsessionは終了してしまいましたが、後にフロアで多くの方から称賛の言葉をいただきました。その後、マリオットのラウンジで皆が集まって総括をしました。皆、気分が高揚しており、楽しい乾杯となりました。最初は参加に消極的だった豊岡先生でしたが、来て良かった、大変勉強になった、また来たい、とかなり熱く語っておられたのが印象的でした。宗先生、少し残念でしたね。 さて、夜は佐治先生、豊岡先生、佐藤幸夫先生と筑波大の若手の先生と5名でダウンタウンにくり出してパーティーです。時差ぼけと緊張感からの解放で、わけがわからない会話に盛り上がっていました。
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6月20日(月曜日)の午後はAlecの会長講演でした。患者との意思の疎通、外科医の心の持ち方、など外科医の講演にしてはheart-warmingなもので非常に感銘を受けました。夜のCongress Partyは海岸沿いのオープンなレストランで、奥村先生の顔の広さもあって、ドイツ、アメリカ、インド、中国、イタリア、オランダなど多くの国の呼吸器外科医と交流を持つことができました。奥村先生が長年努力されてきた賜物です。紙面を借りて御礼申し上げます。また今後ともよろしくお願いいたします。最後はDiscoが始まり、千田先生、佐藤先生は夜の0時まで踊っていたそうですが、私と奥村先生、石橋先生は22時過ぎに帰途につきました。

6月21日(火曜日)は最終日です。朝、会場にしつらえた海外学会紹介ブース(来年の土田先生の学会紹介チラシもそこに)に敷いてあるJACSロゴ入りクロスを回収し、千田先生に手渡すと、一足先に帰国の途につきました。スキポール発の飛行機は22時でしたが、空港でPCR検査を受ける必要があったからです。予約の16:00をかなり早く前倒して11:00ごろに検査を受けました。受診者は私と合流した千田先生以外見当たらず、すぐに検査をしてもらえました。実は、私は6月1日からの規制緩和で陰性証明書は日本入国時には不要(あればfast track)と軽く考えていたのですが、フランス出国時に必須と千田先生から聞いて穏やかではなくなりました。出国前には翌日結果がわかる検査グレード(80ユーロ)で予約していたもので、これではフランス出国には間に合いません。オランダ着後に当日分かるグレード(140ユーロ)に変更していたのですが、これでは証明書の発行も間に合わないとのこと、1時間以内に結果が出るULTRAグレード(250ユーロ)に変更、という有様でした。右往左往しましたが、幸い結果は陰性で証明書も無事入手でき、これで帰れる、と大変安堵したものです。
当初、ドゴール空港でtransitして日本に向かう予定でしたが、COVID-19の影響で便数が削減されており、空港近くのホテルで一泊する羽目になっていました。ところで旅行客は往時の6割ほどまでしか回復していなかったにもかかわらず、シャルルドゴール、スキポールの二つの空港とも大変混雑していました。理由は空港職員の人手不足です。COVID-19パンデミックで航空業界が低迷した際に多くの職員を解雇し、客足が戻ってきても雇用が追いつかないということです。一度解雇すると別の仕事に就いてしまうので、新社員は経験不足の者ばかりになってしまうようです。日本も今から旅行客が回復していくと同じようになるのでしょう。

さて、翌日、無事エールフランス成田行きに搭乗し、今この手記を書いています。苦労して取ったCOVID19陰性証明書は、途上直前にチェックされました。陽性の場合あるいは証明書がない場合でもそこまでは辿り着けるということで、そこからキャンセルさせられ場合にはどうなるのか想像もできません。さて成田に着くと、FAST TRACKで素通りではあったものの、途中の通路には多くに医療スタッフが居並んでいて、いくつもの関所が作られて物々しい様子でした。フランスに入国した時とは雲泥の差で、まだ厳戒態勢が続いているのだと。日本の円安の一因はこのような融通の効かない施策にもあるのか、と思った次第です。

さてようやく帰国した私ですが、帰国当日の23日(木)の午後から仕事が入っており休む間もありませんでしたが、同行の千田先生は(結局、往復全て同じ便)、獨協医科大の感染対策の規定で数日、出勤はできないとのことでした。

これまで多くの国際学会の経験はありますが、今年のESTSは、戦争、感染症、円安、参加の是非、道中、学問的成果、交流、全て初めての経験ばかりで、思い出に残る者になりました。またJACS-NEXTで活躍中の中橋健太先生は、自身の発表だけなく現地に参加していた若手の中に潜り込んでESTS-U40でも立ち上げそうな勢いの活躍でした。日本の将来は明るいなと心より感じ入った次第です。今日現在、私の知る限り帰国できなかった日本人はいないようですので、一安心です。 最後に、これまで日本の呼吸器外科のプレゼンスを高めるべく国際交流を地道に進めていただいた多くの先輩方、JACSを代表して実際の交流の先鞭をつけていただいた奥村先生、千田先生、そしてその心意気に引っ張られるかのようにこの度初めて参加された豊岡先生、佐治先生、(もちろん宗先生も)、皆勤賞の石橋先生、教室員を連れて参加され交流にも熱心だった佐藤先生、皆様に厚く御礼申し上げます。

掲載 2023年2月10日